太平洋戦争中の憲兵は、兵隊のみなら・・・に関する記事
質問
太平洋戦争中の憲兵は、兵隊のみならず一般市民からも怖がられ嫌われていたようですが、戦争が終わって憲兵はどうなったのでしょうか?憲兵が外国人を殺傷したことは少ないでしょうから、戦犯にされることなく平穏に生きていったのでしょうか?そのまま公務員になったり?それとも憲兵だったことが周りにばれると肩身が狭かったりしたのでしょうか?憲兵の戦後が知りたいです。
回答
「太平洋戦争中の憲兵は、兵隊のみならず一般市民からも怖がられ嫌われていた」「憲兵だったことが周りにばれると肩身が狭かったりしたのでしょうか?」実際にその時代を生きていた訳ではないので本を読んで知った知識ですが、上記のような認識は大きく誇張されているようです。憲兵の第一の仕事は「軍人の犯罪を取り締まる」ことであり、一般市民の犯罪 (スパイ罪を含む) を取り締まるのは警察の役目でした。あくまで、特殊な場合に限り、憲兵隊が一般市民に権力を行使することが認められていたに過ぎません。特殊な場合とは、最も多いのは「スパイ容疑」です。しかし、最大のスパイ事件と言える「ゾルゲ事件」にしても、主犯であるドイツ人のリヒャルト・ゾルゲなどを逮捕して取り調べたのは警視庁であり、憲兵隊ではありません。一般市民が憲兵の存在を意識することは、戦後に言われるほど多くはなかったと考えられます。「戦争が終わって憲兵はどうなったのでしょうか?憲兵が外国人を殺傷したことは少ないでしょうから、戦犯にされることなく平穏に生きていったのでしょうか?」その憲兵がソ連軍の占領地域にいた場合を除けば、他の職業軍人と特に変わりはありませんでした。ソ連軍の占領地域にいた憲兵は、日本の軍人であるのに「ソ連に対するスパイの容疑」で、「ソ連の国内法」で裁かれると言う国際法も何もあったものでない無茶苦茶な扱いを受け、抑留中に死んだ人が少なくないようです。※ ソ連軍は、捕虜にしたドイツ人や日本人を「ソ連の国内法」で裁き、憲兵に限らず多くの軍人・民間人がソ連の収容所で死にました。数年前の映画「戦場のピアニスト」で主人公のユダヤ人ピアニストを救ったドイツ軍将校は実在の人物で、客観的に見て「戦争犯罪」は犯していない「普通の軍人」なのですが、ソ連軍の捕虜となって抑留され、過酷な扱いによって終戦から実に7年後の1952年に、ソ連領奥深くのスターリングラードの収容所で死亡しています。「ヴィルム・ホーゼンフェルト」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%88終戦時にソ連の占領地域にいた憲兵で、無事に日本に帰れた人は恐らくいないと思われます。それ以外ですと、下記の本を書いた元憲兵大佐は、戦後は電通に入社して取締役まで出世しています。憲兵将校はマスコミと接することも多かったので、この人の能力を買っていた電通の経営者に引っ張られたようです。ある情報将校の記録 (中公文庫)塚本 誠 (著) http://www.amazon.co.jp/dp/4122032822/陸軍士官学校や海軍兵学校を出た正規の将校は、戦後にそのまま公務員になることは出来ませんでしたが、1) 陸士も海兵も戦時中は大量に生徒を採用して大量に卒業させました。戦後、陸士卒や海兵卒は「高等学校卒業と同等」とされましたので、20代半ばまでくらいで終戦を迎え、シベリアに抑留されたりせずに早期に復員できた人は、旧制の大学を受験して「東京大学卒」とか「大阪大学卒」として、普通に一般人になった例が多いです。2) 終戦時に軍人としてある程度のキャリアを積んでいた人は、戦後に発足した自衛隊に入隊した人も多いです。こういう人は、自衛隊の前身である保安隊 (陸上自衛隊の前身) 、海上警備隊 (海上自衛隊の前身) の発足 (ともに1952年 )までは、不安定な職を転々としたり、故郷で農業に従事するなど苦しい生活を強いられました。※ 再軍備の第一歩であった警察予備隊の発足時 (1950年) には、旧軍人の採用は原則として行われませんでした。3) 先ほど紹介した塚本憲兵大佐のように、既に大学に入り直すには歳が行き過ぎていた人は、そのまま企業に迎えられたような例も少なくはなかったようです。大本営参謀であった瀬島龍三陸軍中佐は、戦後に伊藤忠商事に入って会長にまでなり、有力財界人として政界にも影響力を持ちました。「瀬島龍三」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E5%B3%B6%E9%BE%8D%E4%B8%894) 比較的稀な例としては、* 個人名は分かりませんが、陸軍中佐まで行った人 (終戦時に30台後半) が、戦後に大学に入って司法試験に合格し、「管財専門の弁護士」としてバリバリ働いていた例があるそうです。* 吉見信一海軍少将は、孤島の守備隊指揮官として終戦を迎えましたが、孤島では飢餓のために多くの将兵が死にました。その「罪」を償うため、吉見少将は戦後に51歳にして慶応大学医学部に入学し、息子より若い学生たちと机を並べて勉強して、卒業して医師となり、91歳まで医師として働き、93歳で亡くなりました。ご質問からだいぶ離れてしまいましたが、「職業軍人の戦後」について説明させて頂きました。
出典:Yahoo!知恵袋
おすすめリンク