特高警察記念館なんてのはどうでしょ・・・に関する記事

質問
特高警察記念館なんてのはどうでしょうか? 特高警察や憲兵による言論弾圧の様子 やそうなった時代背景や経緯を解説し 拷問の様子を模型で再現したり 言論弾圧に立ち向かった人々 (はだしのゲンのお父さんみたいな人)や拷問で惨殺された人々のなどの手記を公開したり 記念館の敷地には特高警察や憲兵による弾圧でなくなった人々 を追悼するモニュメントや特高警察によって殺された 人々の名前を刻んだ石碑を作ったり。 できれば国立の記念館にして8月15日には首相に これらのモニュメントに手を合わせて欲しいです。 こういう言論の自由のない時代があったことを後世に伝える。 そして、二度とこういう悲劇が繰り返されないことを願って。 負の歴史と向き合える場所があるのは大事なことだと思うのですが? どうでしょうかこういう記念館は? さらには かつて特高警察や憲兵による弾圧や拷問が行われていた場所に ”かつてこの場所では特高警察による 言論弾圧や拷問といった悲劇がありました。 そのことを忘れてはなりません” というような事を書いた看板を立てるというのも良いかと思いますが?

回答
私はあなたの意見には以下の理由で同意できません。 Wikiでは「特別高等警察:大逆事件から戦後廃止されるまで、反体制的な言論・思想・宗教・社会運動を弾圧した秘密警察である。当初は共産主義者・共産党員を対象にしていたが、次第に弾圧の対象を拡大して、第二次世界大戦中には自由主義など一切の反政府運動やそれらの思想も弾圧し、憲兵とともに国民から恐れられた。」と説明されています。 日本は19世紀末から20世紀初頭にかけて日清・日露戦争を戦いました。1891年にはロシアでは東方への不凍港を求めてシベリア鉄道の敷設が始まりました。1894年には朝鮮国内で甲午農民戦争が起り、朝鮮との申し合わせによる出兵した日本と清との戦争になりましたが日本は勝利しました。しかし、下関条約により獲得した領土をロシア等3国干渉により清に返還させられました。 1900年には中国での義和団事件を口実にロシアは満州に居座り兵力を増強し朝鮮半島北部に基地を設けました。このため、日本は朝鮮半島の安定は我が国の安全保障上欠かせないと考えていたため日露戦争を戦い勝利しました。また、1910年朝鮮との合意に基づき「日韓併合条約」が結ばれました。この後、1917年にロシアに世界で初めて共産主義国家が誕生しました。 さらにロシア、コミンテルンの指令、金銭的援助により中国共産党、日本共産党も1921年に誕生し、これを日本政府は「脅威」と判断したためロ満国境には大軍を配置していた、というのが東アジアの歴史的経過でしょう。さて、特高は1911年に創られ、1925年に「治安維持法」が制定されました。さらに1928年には「赤化への恐怖」を理由に全府県に特別高等課が設けられました。私は当時の歴史的経過から特高を設置したのはおかしいとは思いません。 戦後判った「ロシア、カンボジア、ベトナム、中国等の共産主義国家内での自国民の大量虐殺、また過酷な言論弾圧」等を考えると、日本が「当時共産主義者を取り締まったのは妥当」だったと思います。取り締まり方には現時点から考えれば行き過ぎという部分もあるのでしょうが、当時国際社会は「弱肉強食」「優勝劣敗」の過酷な状況にあり、第1、2次世界大戦は「国家総力戦」で戦わざるを得ない状況だったのですから反国家思想として取り締まったのは止むを得なかったと思います。各国では「共産主義思想の理想」と「実際に行った政治=恐怖政治」はまったく違っていたのですから、逆に良かったと思います。 これ等を総合的に考え、当時特高があったのは妥当か、また共産主義者を取り締まったのは妥当だったかを考えなければいけません。 あなたの論調でいくと「現在の平和過ぎるような日本を基準」に、また歴史的経過を考えずに“特高”を批判しているように思います。過去の歴史は当時の価値観で考えないと全部「悪」になります。いかがですか? 私は、当時共産主義者を取り締まったのは妥当であったと思います。また、日本共産党は天皇制の廃止を唱えていましたので、これも廃止されなかったので良かったと思います。私の意見に対して捕捉にでもあなたの意見を書いていただけませんか?

出典:Yahoo!知恵袋

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