南町奉行所と北町奉行所と火付盗賊改・・・に関する記事

質問
南町奉行所と北町奉行所と火付盗賊改方の違いを教えてください。時代劇だと大岡越前、遠山の金さん(江戸を斬る)、鬼平ですよね。私の考えでは、南町と北町奉行所が、現代風に言うと東京都庁兼警視庁(放火と窃盗除く?)兼東京消防庁兼最高裁みたいな感じだと思いました。火付盗賊改方は、警視庁の放火と窃盗専門みたいな感じだと思いました。間違ってますか?また、この中で偉い(強い権力をもっている)順はどこですか?最後に、時代劇を見る限り南町・北町奉行所と火付盗賊改方は仲が悪い(ライバル関係?)みたいですが、現実世界ではどうだったんですか?

回答
町奉行所は、江戸城(現在の皇居)を中心とする都市部のうち、「町方」といわれる範囲の司法と行政を担当していました。現在でいうところの、東京都庁・警視庁・東京地裁の職掌に当たります(地域的には一回り狭く、その上に武家地と寺社は管轄外でしたが)。他の方の説明にもあるように、南・北の両町奉行所(一時的には、さらに「中町」)が月毎に交代で訴訟の受理をしていました。時代劇などでは、今月は非番だ、というような台詞が出てきますが、月番でなくても例えば先月に受理した訴訟の審理や事務に追われるわけです。一方、「火付け盗賊改方」というのは、これとは少し違います。江戸幕府の役職というのは、特に「番方」と呼ばれる武官はそのまま戦時にも対応できるものとなっており、その中に戦時になると将軍の軍隊の先鋒を勤めることになっていた「先手組」という役職がありました。「先手組」は、さらに携行する武器によって「弓組」(約10組)と「鉄砲組」(約20組)に分かれていました。この「先手組」のトップを「先手弓頭」・「先手鉄砲頭」といい、その中から特に選ばれた者が「加役」という形で兼務して勤めたのが「盗賊改」「火付改」「博徒改」といった役職です。「改(あらため)」というのは、取調べのことです。徳川吉宗(暴れん坊将軍?)の時に、「博徒改」は町奉行に移管されて「火付盗賊改」となりました。したがってその職員(与力・同心)も、「加役」を命じられた先手頭の部下である先手弓組・先手鉄砲組の職員たちで、いわば職業軍人の組織でした。現在の感覚でいうと、自衛隊の一つの部隊が特に命じられて凶悪犯の捜査に当たるようなものです。したがって、町奉行所と火付盗賊改(先手頭)のどちらが偉い(or強い権力)かというのは、難しいのですが、町奉行所トップの町奉行は「諸大夫」と呼ばれるエリート旗本の中でもトップクラスの人が就任する役職、先手頭は概ね「諸大夫」の一歩手前の「布位」というランクの旗本が就任する役職でした。また、町奉行所と火付盗賊改の関係ですが、明治時代になって江戸時代のことを回想した『旧事諮問録』などによれば、両者は親近感を抱いてはいなかったようです。町奉行所の職員は、ほぼ世襲で(訴訟事務に関しては)エキスパートだと自分たちも思っているところに、職業軍人が手荒い方法で刑事事件の捜査に介入するわけですから、決して気分は良くなかったでしょう。以上、ご参考になれば幸いです。

出典:Yahoo!知恵袋

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