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質問
江戸時代に興味があります。地方の代官クラスは直接将軍にあえたのでしょうか?石高はどれくらいだったのでしょうか?それと火付盗賊改方のトップは将軍に直接あえたのですか?代官とか火付盗賊改方長官は徳川幕府の中ではどの位に位置していたのでしょうか?高い身分ですか?現代の会社組織でたとえてみたら。それぞれ教えてください。
回答
江戸時代の「武士」は大きく二つの階級に分けられていました。 騎馬を許されたのが上中級の武士。 「お目見え」 つまり直接主君へ会うことを許される身分。 ”給料”の支給方法としては 「知行取り」 つまり、領地として与えられるということです。 一方 戦国時代であれば足軽のような下級武士。 騎馬は許されず「徒歩(かち)」と呼ばれていました。 主君への「お目見え」は許されず 給料の支給方法は「蔵米取り」 つまり、領地を与えられるのではなく 米(あるいは現金)を支給されました。 将軍直臣では 前者が「旗本」 後者が「御家人」になります。 ただし、中期以降 中下級の旗本は知行取りから蔵米取りにに切り替えられるなど それぞれの区分が厳密にされていたということでもありませんが およそこのように理解されれば良いかと思います。 江戸時代の「代官」とは 旗本でも下層の者が任じられていました。 「旗本」でありながら 「知行取り」でなく「蔵米取り」であったものも多く 最低で「150俵」という俸給を支給されていたものもいました。 また 「お目見え」という身分ではあっても 実際には、将軍に直接会ったこともな者のほうが多かったと思います。 「火付盗賊改方長官」 は町奉行などの文官(「役方」と言います)でなく 武官(「番方」と言います)つまり軍人としての役職になります。 専任でこの職に就くのではなく 「御先手組頭」という役職などと兼任され 配下の者も「御先手組」の組織が使われるなどしていました。 本来の役職に加えて ということで「加役」の職とも言われます。 (幕末になってから専任となりました) 「鬼平」こと長谷川平蔵の長谷川家は 400石 の知行取りでした。 中級の旗本といったところです。 >現代の会社組織でたとえてみたら 該当する役職、職務がないのでできないですね。
出典:Yahoo!知恵袋
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